1912年   1月28日、ワイオミング州コデイのワトキンズ農場に生まれる。
出生証明書の父レロイ・ポロックの職業は石工・セメント工とあるが、一家は農業を営み、広陵とした西部の大地を耕しながら各地を転々と放浪した。
母ステラ・メイ・マクルーアは芸術を愛し、チャールズ・セシル、マーヴィン・ジェイ、フランク・レスリー、サンフォード・レロイ、ポール・ジャクスンの5人の息子たちは、皆その影響を受け芸術家を目指した。
 
1913年 1歳 ポロックが生まれて10ヵ月後にカリフォルニア州サン・ディエゴへ移った一家は8月、アリゾナ州フェニックスに30エーカーの農場を購入し移住する。 ・第二バルカン戦争
・(死)岡倉天心
1917年 5歳 農場経営が破産し、一家はカリフォルニア州チコへ移る。
さらに数年後にジェインズビルへ移住。
・ロシア革命起こる
・(生)ワイエス (死)ドガ
1922年 10歳 カリフォルニア州オーランドの農場へ移る。長兄チャールズは親元を離れ、『ロサンゼルス・タイムス』のレイアウトの仕事をしながらオーティス・アート・インスティテュートへ通い始める。
弟たちへ美術雑誌『ダイアル』などを送り、ポロックはピカソ、マティス、ブランクーシらの作品の図版に夢中になる。
・ジェイス「ユリシーズ」
・ソヴィエト連邦成立
・(死)森鴎外
1923年 11歳 秋アリゾナ州へ戻り、フェニックス郊外の農場に住む。
インディアンの遺跡を探検して遊んでいるとき誤って右手人差し指の先を切り落とす。
・(生)サム・フランシス
1924年 12歳 一家は再びチコに戻り、さらにロサンゼルス近郊のリヴァーサイドに移住する。 ・ブルトン「シュルレアリスム宣言」
・(死)レーニン、カフカ
1926年 14歳 チャールズがニューヨークのアート・ステューデンツ・リーグに入学し、トーマス・ハート・ベントンのクラスで学びだす。 ・(死)モネ、リルケ
1927年 15歳 四兄サンフォードと夏休みにグランド・キャニオンで測量の仕事をする。この頃飲酒を覚える。
9月、ロサンゼルス近郊のリヴァーサイド高校に入学。
・リンドバーグ、大西洋無着陸横断
・日本軍、第一次山東出兵
1928年 16歳 リヴァーサイド高校の軍事教練を批判し退学になる。
一家はロサンゼルスに移住。マニュアル・アーツ・ハイスクールに編入。
フィリップ・ガストンら多くの友人を得る。教師の一人シュワンコフスキーの影響から神智学や東洋神秘主義に深い興味を抱く。学校を批判し停学処分を受ける。
・パリ不戦条約
・D.H.ロレンス「チャタレイ夫人の恋人」
・スペイン内戦が始まる
・(生)ウォーホール
1929年 17歳 父と共にサンタ・イネズで道路工事の測量の仕事をして過ごす。
権威に反抗的な息子に父は寛容で理解にあふれ「自分の周囲のあらゆるものに注意をし、学べば学ぶほど生きることの喜びと幸せを味わうことができる」と励ましている。
・トロツキー、国外追放
・ウォール街で株式大暴落
・ニューヨーク近代美術館開館
1930年 18歳 6月、メキシコの画家オロスコの壁画「プロメテウス」をチャールズとクレアモンドのポモナ大学へ見に行く。9月、休暇を終えた兄たちについてニューヨークへ出、西14番街240に住む。
アート・ステューデンツ・リーグのトーマス・ハート・ベントンの夜間クラスに入り、人体素描、油絵、構成を学ぶ。又、アーロン・ベン=シュミュエルについて、グリニッジ・ハウスで彫刻を熱心に勉強する。
10月、ベントンがオロスコとニューヨークの大学ニュー・スクール・フォア・ソーシャル・リサーチの壁画を共同で制作するさいのモデルに選ばれる。
・ロンドン軍縮会議
・ガンジーの反英運動「塩の道」始まる
・ドイツ総選挙でナチ党大量進出
・(生)ジャスパー・ジョーンズ、
 マリソル、ニキ・ド・サン・ファール
・(死)D.H.ロレンス、
 アーサー・コナン・ドイル、ワーグナー
1931年 19歳 奨学金を得てベントンのもとに残る。しかし、折からの不況下で生活費のため様々なアルバイトをした。夏休み友人とアメリカのローカル・カラーをスケッチするため、ヒッチハイクで大陸を横断する。 ・満州事変始まる
・(生)ウェッセルマン
・(死)エジソン、シュニッツラー
1932年 20歳 再びロサンゼルスまで友人と大陸横断旅行に出掛ける。途上シケイロスの壁画に感銘を受ける。
ベントンのクラスで助手を努めながら学内の版画工房でリトグラフを制作する。
・「満州国」建国宣言
・アメリカの失業者一160万人に
・スターリンの独裁が始まる
1933年 21歳 父がロサンゼルスの自宅で悪性心内膜炎のため死去。
前年、インディアナ州の壁画制作のため教師をやめたベントンにかわってジョン・スローンの人体デッサンのクラスで学ぶが、結局アート・ステューデンツ・リーグを離れ、アーロン・ベン=シュミュエルのもとで学ぶ。結婚したチャールズ夫妻と東8番街46に住む。
・ルーズヴェルト大統領、
 ニューディール政策を発表
・ヒトラーが独裁権を確立
・日本、国際連盟を脱退する
1934年 22歳 夏、チャールズとT型フォードでロサンゼルスの母を見舞う。
インディアン居住区ではキャンプを経験、思い出深い大陸横断旅行になる。
マサチューセッツ州マーサズ・ビンヤード島にベントンを訪ね、毎夏招かれるようになる。
四兄サンフォードとウェスト・ヒューストン街76で共同生活を始める。後に東8番街46に移る。
・ロンドンやシカゴで反ファシズムの
 デモや大会が開催される
・スターリンの「血の粛清」で
 国連のキーロフら103人が処刑される
1935年 23歳 ブルックリン美術館でのグループ展に初めて出品。
公共事業推進局(WPA)連邦美術計画(FAP)の壁画部門に採用され、月103ドル40セントの給料を得る。この仕事は度々中断するが、1943年まで続き、ポロックは制作に専念できた。
・フランス人民戦線結成
・(生)ステラ、寺山修司
・(死)坪内逍遥、寺田寅彦
1936年 24歳 WPA・FAPの画架部門に登録。シケイロス主催の「実験工房」に参加し合成樹脂塗料やスプレー・ガン、エア・ブラシを使った斬新な壁画方法に驚く。パーティーでリー・クラズナーと出会う。 ・2.26事件
・ニューヨーク近代美術館で
 「キュビズムと抽象芸術」展
1937年 25歳 1月、アルコール中毒の治療を受け始める。
画家で批評家のジョン・グレアムが「マガジン・アート」誌に書いた「原始美術とピカソ」に感激し交友を結ぶ。グレアムはポロックの作品に感動し、アメリカの期待される画家のひとりに挙げている。
カンザス・シティにベントンを訪ねる。
・ニューヨーク近代美術館で
 「幻想芸術、ダダ、シュルレアリスム」展
・日伊独三国防共協定
・パリ万国博覧会開幕
・(死)ガーシュイン、中原中也
1938年 26歳 急性アルコール中毒で3ヶ月入院する。 ・パリで「シュルレアリスム」国際展
1939年 27歳 ユング派のジョゼフ・ヘンダーソン博士の精神分析療法を受ける。治療のために描かれたデッサンは83点になり、1970年に博士が出版するまで誰も知らなかった。 ・ノモンハン事件
・ドイツ軍、ポーランドに侵攻
 第二次世界大戦始まる
1941年 29歳 4月に徴兵検査を受けるが不合格になる。マクミレン画廊でのグレアム企画展に共に出品するリー・クラズナーと再会、二人の交際が始まる。 ・ニューヨーク近代美術館で
 「アメリカ・インディアン」展、「ミロ」展
・真珠湾攻撃、太平洋戦争が勃発
1942年 30歳 1月、マクミレン画廊で開かれた「アメリカ絵画とフランス絵画」展に「誕生」が出品される。
5月、WPAの計画の非創造性に抗議する運動に参加し、ルーズベルト大統領に抗議書を送る。
ウィリアム・バジオテスの紹介でロバート・マザウェルを知る。マッタも加わったシュルレアリストの展覧会に誘われ断る。しかしオートマティズムによる実験詩の集いには参加している。
リーと暮らし始める。リーを介し師のハンス・ホフマンに会うが、門下生となることを辞退している。
・日本軍「ミッドウェー海戦」で敗北
・「今世紀の美術」画廊、ニューヨークに誕生
・「国際シュルレアリスム」展でオープン、
 前衛芸術の拠点となる
・(死)萩原朔太郎、中島敦
1943年 31歳 WPAの仕事の期限が切れ、ネクタイなどのデザインをして糊口を凌ぐ。
5月、1939年に創設された非具象絵画美術館の管理人(用務員)の職についたポロックは、この美術館のオーナーであるソロモン・グッゲンハイムの姪ペギーと知り合う。ペギーが前年開いた「今世紀の美術」画廊の展覧会にマザウェルと共にコラージュを作り出品する。
「若き芸術家のための春のサロン」展のポロックの作品を一目見て気に入ったペギーは契約を交わし、自宅の壁画を注文する。
11月、初めての個展が「今世紀の美術」画廊で開かれた。
・ドイツ軍、ソ連軍に大敗
・ムッソリーニが失脚
・サルトル「存在と無」
・(死)藤島武二、ラフマニノフ、徳田秋声
1944年 32歳 個展は成功し、ニューヨーク近代美術館が「雌狼」を購入。
スタンレー・W・ヘイターの「アトリエ17」で版画を試みる。
アンドレ・マッソンを知る。
・パリ、解放される
・(死)モンドリアン、ムンク
1945年 33歳 ロングアイランド、イースト・ハンプトンのスプリングスに納屋付きの農家を買う。10月、リーと正式に結婚。翌月2人は新居に移る。
3月、シカゴのアーツ・クラブで個展、サン・フランシスコ近代美術館へ巡回。「今世紀の美術」画廊で2回目の個展。
・第二次世界大戦終結
・(死)西田幾多郎、ヴァレリー
1946年 34歳 新居の2階で制作していたが、アカボナック川との間にあった納屋を北に移築してそこをスタジオにする。
4月、「今世紀の美術」画廊で3回目の個展を行う。
12月、ホイットニー美術館のアニュアル展に出品。
この年の終わり頃最初のポーリング(ドリッピング)を試みる。
・第一回国連総会で安全保障理事会が成立
・インドシナ戦争勃発
・(死)ガードルード・スタイン、H.G.ウェルズ
1947年 35歳 1月、4回目の個展。「草の声」シリーズ7点、「アカボナック・クリーク」シリーズ9点が出品された。ペギーがアメリカを去ってベティ・パーソンズ画廊と新たに契約し、翌年の個展の開催を約束。 ・カミュ「ペスト」
・(死)ボナール、幸田露伴、野口米次
1948年 36歳 1月の個展で初めてポーリング(ドリッピング)の作品が出品されるが、ほとんど売れなかった。ヴェネツィア・ビエンナーレに参加。
秋、イースト・ハンプトンの開業医エドウィン・ヘラーの治療を受け禁酒に成功する。
・ガンジー暗殺される
・(死)アルトー、ゴーキー、菊池寛、太宰治
1949年 37歳 1月、ベティ・パーソンズ画廊で2度目の個展。
作品に番号のタイトルがつくようになる。生涯の友人でパトロンになるアルフォンソ・オッソリオを知る。
11月、ベティ・パーソンズ画廊で3回目の個展。
・中華人民共和国が成立
・湯川秀樹、ノーベル物理学賞受賞
1950年 38歳 ベティ・パーソンズ画廊で4回目の個展。
3月、ロングアイランド、ローレンスのゲラー邸壁画を完成。
ヨーロッパ各地の展覧会に出品。ミラノ、ヴェネツィアで個展。
ヴェネツィア・ビエンナーレに作品三点を招待出品する。メトロポリタン美術館の審査に抗議する運動に参加。
秋、ハンス・ナムースが制作風景の映画を撮影。1点はガラスに制作され、下から撮影された。出来上がった作品をポロックは戸外に立て掛けて、ロングアイランドの風景を透かして見て楽しんだ。
既になくなっていたヘラー医師との禁を破り、戸外での撮影後、再び酒を飲み始める。
・中ソ友好同盟が調印される
・アメリカでマッカシー旋風
・朝鮮戦争勃発
・フォークナー、ノーベル賞受賞
・「チャタレイ夫人の恋人」が発禁処分に
・(死)オーウェル、ニジンスキー、
 バーナード・ショウ
1951年 39歳 ベティ・パーソンズ画廊で5回目の個展。作品に具体的なイメージが回復される。6月14日、ハンナ・ナムースの映画がモートン・フェルドマンの音楽とポロック自身のナレーションが加わり完成。ニューヨーク近代美術館で公開された。
この一年はスプリングスのアトリエで黒と白の絵を多数制作する。
秋、中毒症が高じ集中治療を受ける。
・サンフランシスコ調和条約調印
・太平洋安全保障条約調印
・ヴェネツィア映画祭で黒澤明監督の
 「羅生門」グランプリ受賞
・「巴里のアメリカ人」封切られる
・(死)ヴィトゲンシュタイン、
 シェーンベルグ、ジイド
1952年 40歳 3月、パリのステュディオ・ポール・ファチェッティでヨーロッパ初の個展を開き、大成功を収める。
ベティ・パーソンズ画廊からシドニー・ジャニス画廊へ移り、11月に第1回個展を開く。
ベニントン大学で最初の回顧展が開催。ローレンス美術館など国内を巡回。
・ヘルシンキ・オリンピックにソ連初の参加
・(死)ポール・エデュアール
1953年 41歳 スタジオに断熱材を入れて冬の間も仕事がしやすく改造する。
新作の大型の絵画に再び番号ではなく内容を暗示する題名が付けられる。
・(死)ピカビア、キスリング
1954年 42歳 11月、シドニー・ジャニス画廊で2回目の個展。春、アート・ディーラーのマーサ・ジャクソンと緑色のオールズ・モビル50年型を絵画2点と引き換える。この車が彼の命を奪った。 ・アルジェリア休戦協定成立
・(死)マティス、ドラン
1955年 43歳 ポロックは中毒症のため体調が優れず、エリザベス・フバード医師に1年半絵を描いていないと話している。
リーとヨーロッパ旅行を計画しパスポートを取得。
11月、シドニー・ジャニス画廊で回顧展「ジャウクソン・ポロックの十五年」が開催される。
・ワルシャワ条約が調印される
・(死)アインシュタイン、レジェ、ユトリロ
1956年 44歳 7月、リーは休暇でヨーロッパへ旅立つ。ポロックはイースト・ハンプトンに残り、治療のため定期的にマンハッタンへ通う。この頃、恋愛関係にあったファッションモデルのルース・クリングマンと同棲する。
8月11日10時15分頃。イースト・ハンプトンのファイアプレイス・ロードでポロックは飲酒とスピードの出し過ぎから木立に激突。同乗していたルースは一命をとりとめたが、友人ディット・メッガーとポロックは即死だった。
・スエズ動乱起こる
・ヴェネツィア映画祭に3年連続入賞に
 輝いた溝口健二監督亡くなる
・メルンボルン・オリンピック開催
・(死)高村光太郎、ローランサン
 ※講談社刊「現代美術 第6巻 ポロック」より転載許可頂戴す。