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英語名でチルー、別名チベットレイヨウとも呼ばれるチベットカモシカは、海抜5000メートル級の高山地帯に生息する野生動物。分布しているのは、中国のチベット高原からインドのラダク地方北部にかけての秘境地帯。通常、オスとメスは別々の群れを作って暮らし、エサ場を求めて移動を繰り返すが、繁殖期には1頭のオスと10〜20頭のメスによってハーレムが形成される。交尾の時期は11〜12月、出産期は翌年の5月。性格は用心深く、群れに負傷者がいると全体で走るスピードを落とし、外敵から負傷者を守るという連帯的な特質を持つ。 乱獲が始まったのは、1990年以降。1981年、中国が、絶滅に瀕する野生動植物種国際貿易条約に加入したさい、チベットカモシカとその製品の輸出はいっさい禁止され、また、1988年に中国の国家1級保護野生動物に指定されてからは、チベットカモシカの不法捕獲は厳禁されていたにもかかわらず、国際市場において高値で取引される毛皮を求め、密猟が横行。かつては100万頭いたチベットカモシカが、1/100まで激減する事態となった。 シャトゥーシュの元となるチベットカモシカの毛は、厳寒の気候に適応するために、軽く、柔らかく、弾力性があり、保温性に富んでいるのが特徴。首まわりの長い毛で織られたショールは、1枚2〜4万ドルの値段で売られるが、その1枚を織り上げるためには、5頭のチベットカモシカが犠牲にされる。結果、ココシリでは、1990年から7年のあいだに、毎年約2万頭のチベットカモシカが、密猟者の銃弾に倒された。 そうした事態を憂い、解決に乗り出そうとした有志によって、1993年に結成されたのが、本作に登場する民間のマウンテン・パトロールだ。無給で命懸けの任務につく隊員たちが、密猟者と険しい自然に加え、資金難とも戦わなければならなかったのは、本作に描かれているとおりだが、その活動がマスコミにとりあげられたことから政府が対策に着手。1997年末、ココシリ国家級自然保護区管理局を設立してチベットカモシカの保護を強化したのに続き、98年には、中国チベットカモシカ保護白書を公表し、国際社会への協力を呼びかけた。 現在、ココシリで密猟者の取り締まりに当たるココシリ国家級自然保護区管理局には、公安幹部警察13人を含む密猟監視員が58人おり、パトロールカーを8台有するなど、マウンテン・パトロール時代に比べれば、設備も大幅に改善されている。また、2005年3月には、チベットカモシカの保護に携わるボランティアを全国から募集する運動が行われたが、これには5千人あまりの人々が応募。実際に、5月から月1回のボランティア活動が行われた。 こうした人々の努力の甲斐があって、チベットカモシカの数は、現在5万頭にまで復活。チベットカモシカが、2008年の北京オリンピックの5種類のマスコットのひとつに選ばれたこと(名前はインイン)もあって、その保護に対する人々の関心は、ますます高まりつつある。 |
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本作の撮影に先駆けて、監督のルー・チューアンは、チベットの人々との交流に1年を費やし、一緒に映画を作っていくための信頼関係を構築。2003年に、180日におよぶココシリでの現地ロケを決行した。そのロケが最も困難をきわめたのは、トイレが屋外にしかない兵舎に寝泊まりしながら、マウンテン・パトロール隊が密猟に手を貸した農民たちを追跡する場面を、実際のチュマル河で撮影したときのことだ。現地の海抜は4700メートルで、空気は北京の1/3ほどの薄さ。100名ほどのクルーのほぼ全員が急性の高山病で苦しみ、顔を洗うだけでも息苦しくなるという状態。そんななか、気温が零下3℃まで下がった河辺に飛び出していった俳優たちは、下着姿になり、氷河から流れてきた冷たい河の中へ飛び込んでいった。その撮影の模様を振り返って、チューアン監督はこう語る。「河のそばに救急車を待機させて撮影を行った。1日に3テイクしか撮れないといわれ、3テイク撮ったあとは、すぐに救急車で俳優を病院へ運んだ。なぜそうまでして撮ったかというと、あそこで実際にマウンテン・パトロールの隊員が密猟者を捕まえたことがあったので、我々もできないはずはないと思ったからだ。マウンテン・パトロールの隊員たちと同じように、俳優たちも、ある意味で戦う男たちであったのだと思う」 病院へ運ばれた役者たちは、点滴を受けて休養。翌日も同じように河での撮影が繰り返されたが、演出にあたっていたチューアン監督自身も体調を崩し、病院へ運ばれて点滴を打つことになったという。 |
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