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力道山
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ロングインタビュー

『月刊ゴング』初代編集長 竹内宏介氏 ロングインタビュー

『週刊ゴング』の前身である『月刊ゴング』を創刊し、『全日本プロレス中継』の解説者としても名を馳せた竹内宏介氏は、日本でもっとも力道山に造詣の深い人物のひとりである。力道山との出会いが、やがて40年以上におよびプロレス記者としてのキャリアを築くきっかけになったという。そんな竹内氏に力道山の思い出、自身とプロレスとの関わり、そしてプロレスのプロの目から見た映画『力道山』の魅力について語ってもらった。

力道山ミュージアム
――最初に、力道山との出会いについてお聞かせください。

力道山を初めて見たのは街頭テレビ中継で、昭和30年のオルテガが来日したときの第1戦ですね。

横綱の東富士が相撲からプロレスに転向して初めての試合です。ところが、横綱は全然太刀打ちできなくて、あまりにもふがいない。そこに力道山が出てきて、あのでっかいオルテガに空手チョップで挑んだその姿に、ものすごいインパクトがあったわけです。「うわ、力道山は強い!」と。そうするともう東富士は関係なくて、力道山の姿だけが脳裏に焼きつきました。

実際に試合を初めて見たのは昭和34年です。力道山とミスター・アトミックという覆面レスラーの試合だったのですが、たまたまチラシを見たら小中学生は50円で見られるとあったので、地図を調べて田園コロシアムまで行きました。



――当時の小中学生にはすごい人気でしたか。

我々のころは相撲の栃錦と若乃花の全盛時代で、学校でも人気があったのですが、プロレスが入ってきた瞬間から、子供たちの嗜好が変わっちゃいましたね。それまでは校庭で円を描いて相撲をとっていたのに、みんなもうプロレスごっこになっちゃいました。

それで、毎週金曜日になると街頭テレビに試合を見に行くわけですが、はっきり言って画面が小さくて見えない。だから結局、TVの置いてある近所のお蕎麦屋さんで、夕方にそばの食券を買っておいて、試合の始まる20時になったら見に行っていました。ところがそのうち、蕎麦屋に行っても、僕一人が食べながらテレビを見ているという状況がきた。大きな大会だと、みんな興味があるのですが、普段のTV中継用の試合になっちゃうと、会場は小さいし、大した選手も来なくて、人気がなかったです。我ながら自分はちょっと遅れているのかなという感じもありましたけどね、それでもやっぱり見に行っていました。



――力道山に対してどんな印象をお持ちでしたか。

何というか、子供でもわかりやすいプロレスをやってくれていましたね。とにかく悪い外国人レスラーがいて、最初は徹底的にやられるんです。で、耐えて耐えて最後の土壇場になって、怒りを爆発させて空手チョップで相手を倒す。月光仮面とか、ああいうヒーローものと同じですよね。次々に化け物(笑)がやってくるところとか、まさに力道山の怪物退治です。だから子供に受けて当たり前ですよね。

力道山ミュージアム
でも、今になって冷静に考えてみると、力道山が上手かったなと思うところもあります。あるときから、ピンチの場面でTV中継が終わってしまうようになったんですよ。試合が完全に終わらない。そうすると、フラストレーションが溜まりまくって、子供心にも結果を知るために新聞を買わなきゃならないと思うわけです。ちょうど夕刊スポーツ紙が出てきたころで、1面と3面は必ずプロレスの記事が載っていたんですよ。

当時は普通の朝刊スポーツ紙は10円だったのですが、夕刊紙は5円だったので、半額でプロレスの記事がたっぷり読めるわけです。それでも子供にとっては5円でももったいない。だから、翌朝に読み捨ててある夕刊紙を拾ったこともありました(笑)。




――竹内さんにとって、力道山のいちばんの名勝負は何ですか。

自分で見た記憶の中では、やっぱりデストロイヤーとの試合しかないですね。ちょうど力道山が亡くなる昭和38年です。そのころにはプロレスを見る目も肥えてきていましたけれど、それでもデストロイヤーはすごいの一言に尽きます。それも、この年の5月にやったデストロイヤーとの試合というのは、もう最高です! 多分あれ以上の名勝負は無いんじゃないですかね。

当時の覆面レスラーはみんな黒い覆面だったのですが、唯一、デストロイヤーだけが白かった。これが非常に不気味に見えたんです。また、前年にアメリカでフレッド・“噛み付き”・ブラッシーからベルトを奪ったのがそのデストロイヤーだということで、ブラッシーより強いやつだと。そして四の字固めという見たこともない技を使うらしいぞと。非常にミステリアスな要素がいっぱいあって、来る前からわくわくしていました。

当日は、1階の真中あたりの席で観戦しました。この試合で、我々は四の字固めという技を初めて目の当たりにしたんです。今だったら珍しくない技ですが、あの時は技をかけたまま2人とも足がしびれちゃって、自力じゃ解けないというので、レフェリーがリングシューズを脱がせたんですね。でも考えてみればそんな必要ないわけですよ! 別にね、リングシューズを脱がしたからって技が解けるわけでもないですから。だけどあの演出は当時すごいなあと思いましたね(笑)。


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